平山神社(宇多津町北浦)
宇多津町2705
宇多津町2705
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祭神/木花佐久夜姫命
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この鳥居の奉献は享保17年
できごと、
享保15年(1730)5月に降雹があり、5月~6月の田植え時期には一滴の雨も降らず、7月には連日の長雨となった。さらに8月には疫病が大流行し、加えてウンカの大発生で稲作は大きな被害を受けた。享保の飢饉の始まりである。
*綾・松山史編纂委員会編「綾・松山史」(綾・松山史編纂委員会、1986年)、301頁及び319頁
できごと、
享保15年(1730)5月に降雹があり、5月~6月の田植え時期には一滴の雨も降らず、7月には連日の長雨となった。さらに8月には疫病が大流行し、加えてウンカの大発生で稲作は大きな被害を受けた。享保の飢饉の始まりである。
*綾・松山史編纂委員会編「綾・松山史」(綾・松山史編纂委員会、1986年)、301頁及び319頁
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子供を抱いているように見える狛犬
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境内石碑写す
玉藻よし讃岐の国と歌聖柿本朝臣人麻呂大人の詠まれし歌
枕沙弥島を目捷の間に 聖通寺山の北麓白砂青松の地に鎮り 坐す霊社わが平山神社は畏き木花佐久夜姫命を奉祀す
命 は神代の昔 山野の主宰神 大山祇神の姫君にて花の咲き匂ふ如 美とやさしき御徳を兼備され 皇孫瓊々杵尊の皇后として 三皇子を御安産あらせられ
神武天皇はその曽孫に当らせら る
故に皇室は勿論日本民族の総祖神と崇められるる尊き大神 にまします
当神社は殊に安産の神 子供疫病除けの神とし て霊験著しく宇夫階神社の境外末社として五月二十四日の例 大祭には平山に神幸ありて古来遠近より子供連れの参拝者に 賑ふ
惟に古昔鵜足の津は深く南方に湾入しその東方一帯 を平山と称し漁家軒を列ね漁民守護神と崇め産土神と仰ぎまつる
後平山は北方へ発展して今日の北浦部落をなし 二百三十五年前 建立の鳥居現存するは祭祀の歴史を物語るに足る
昭和三十八年二百戸余の氏子1つ心に崇敬の赤誠を致し 浄財を 献じて社殿を改築し境域を整備して面目を一新し御陵威弥々 高く御恵益々深く蒙れるは畏き極みというべし茲に、祖孫継承 して更に御神徳を霊揚せむことを期して社記を石に勤して後葉 に伝ふ
玉藻よし讃岐の国と歌聖柿本朝臣人麻呂大人の詠まれし歌
枕沙弥島を目捷の間に 聖通寺山の北麓白砂青松の地に鎮り 坐す霊社わが平山神社は畏き木花佐久夜姫命を奉祀す
命 は神代の昔 山野の主宰神 大山祇神の姫君にて花の咲き匂ふ如 美とやさしき御徳を兼備され 皇孫瓊々杵尊の皇后として 三皇子を御安産あらせられ
神武天皇はその曽孫に当らせら る
故に皇室は勿論日本民族の総祖神と崇められるる尊き大神 にまします
当神社は殊に安産の神 子供疫病除けの神とし て霊験著しく宇夫階神社の境外末社として五月二十四日の例 大祭には平山に神幸ありて古来遠近より子供連れの参拝者に 賑ふ
惟に古昔鵜足の津は深く南方に湾入しその東方一帯 を平山と称し漁家軒を列ね漁民守護神と崇め産土神と仰ぎまつる
後平山は北方へ発展して今日の北浦部落をなし 二百三十五年前 建立の鳥居現存するは祭祀の歴史を物語るに足る
昭和三十八年二百戸余の氏子1つ心に崇敬の赤誠を致し 浄財を 献じて社殿を改築し境域を整備して面目を一新し御陵威弥々 高く御恵益々深く蒙れるは畏き極みというべし茲に、祖孫継承 して更に御神徳を霊揚せむことを期して社記を石に勤して後葉 に伝ふ
隣家の犬に吠えられながら神社や狛犬・燈籠を撮影
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本殿裏に回ると、赤い鳥居。お稲荷さん?と近寄るとさらに上に進む階段が
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上がってみると祠がある。木彫りの象が安置されていたが由緒不明。
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![イメージ 16](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ariga10dazo/20190926/20190926095944.jpg)
足下が悪く、ずるっと滑らせながら降りて
お稲荷さんを撮す
![イメージ 17](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ariga10dazo/20190926/20190926095948.jpg)
![イメージ 18](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ariga10dazo/20190926/20190926095952.jpg)
北浦地区を後にして、平山地区へ向かう
![イメージ 19](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/ariga10dazo/20190926/20190926095956.jpg)
聖通寺山の山裾を通る旧道で
「北神社」と読める。
そんな神社がこの付近にあったのだろう。
今は石柱だけが残っているのかも。付近に境内らしきモノはない。