ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

愛媛県・阿奈波神社

◆阿奈波神社
祭神/磐長姫命(いわながひめのみこと)
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( ⓛ ω ⓛ *)
観光ガイドにも載っていない
宮浦港近くには境外摂社の阿奈波〔あなば〕神社があり、磐長姫命〔いわながひめのみこと〕を祀る。子宝を授けたり、「下の病」に霊験があらたかとして信仰を集めている。
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        お賽銭・・・箱に弾かれ奥へ転がる (^_^;)
 
阿奈波神社と女性の信仰
大山祇神社の祭神・大山積神には 岩長姫(いわながひめ)と木花開耶姫 ( このはなはくや ひめ)というふたりの姫がいました。岩長姫は 瓊々杵尊(ににぎのみこと)の子を身籠るが、瓊々杵尊は美しい木花開耶姫を妻にしました。岩長姫は失意のうちに身を引き、宮の外に産殿を建てて移り住みました。この産殿が宮浦港を囲む御串山にある大山祇神社の境外摂社・阿奈波神社とされています。子宝に恵まれない人や花柳病にも霊験があるとされ女性が下着や陽物を供えて祈る習わしがある。
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               拝殿右側の祠に
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        格子の間から
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宮浦港から海に向って左側へ、道を海沿いに進めばたどり着く。
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駐車場はないが、神社近くの路肩に車を停めた。
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               干潮時ならば、この階段を下りて岬の突端まで歩けるのだろうか?
 
帰りに鶴姫の象を撮る為車を降りる
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この女性は「鶴姫」
「瀬戸内のジャンヌダルク」と言われる女性で、実在の人物とか、弱冠16歳でこの島に攻め入った敵と兵を率いて戦った。
その時に身につけていた胴丸は、すぐ近くの「大山祇神社」に保管されており、唯一現存する女性専用の胴丸らしい。
鶴姫は見事に勝利したが、戦いで恋人や兄を失ったために、こんな辞世の句を残し海に身を投げたとされている。
「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」
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               (*бωб)潮が引いてたら正面から撮れたのにねぇ
 
ここのブログが詳しく考察している
http://www013.upp.so-net.ne.jp/mayalibrary/niki/niki125.htm
 
ここのブログは興味深い逸話を地元の方から取材してます
http://blog.livedoor.jp/kaiun_kam/archives/30558358.html
 
今治商工会議所のHPに
阿奈波神社の由来
 別宮の大山祗神社の境内に「阿奈波さん」の名で親しまれているお宮があります。現在の阿奈波神社には、昭和38年(1963)3月17日に、大三島の阿奈波神社より観請したものですが、古地図(四国八十八か所五十五番札所の南光坊真言宗)に所蔵されていましたが、惜しくも戦災で焼失したということです。)等からずっと昔は、この境内に祭られていたのではないかということです。
 御祭神磐長姫神大山積大神のご長女)について、次のような悲しい物語が残っています。
 神代の昔のことです。天孫瓊瓊杵尊天照大神のお孫)が天照大神の命によって、この国土を統治するため、高天が原から日向(今の宮崎県)の高千穂峰に降臨(天から地上に下られること)されました。間もなく大山積大神の娘木花開耶姫(木花佐久夜姫とも書きます。)を見そめることになり、結婚を申し込みました。大山積大神は、たいそう喜び、「よかったら姉の磐長姫命も一緒にお願いします。」と勧めました。ところが、妹の木花耶姫がまれに見る美女であったのにくらべ、醜女であった磐長姫は、断られてしまいました。磐長姫は「私だったら岩のような丈夫な子を産むことが出来るが、妹の子はすぐ花のように散ってしまおう。」と嘆かれたということです。その後、磐長姫が、一生独身で過ごされましたが、いわれたとおり長寿をまっとうされました。
 結婚を断られた磐長姫は、生涯を醜女や性病など下の病に悩む人のために、尽くしたと伝えられています。福徳円満な神様でもあったので、人々から尊ばれており、「福の神様」「長生きの神様」「下の病をなおす神様」として善男善女の信仰の的となり、参拝客も多いようです。
 
とありました。