境内社/諸山仂神社(十六社)・合祀社宮(八幡神社、荒神社、幸神社、斎霊神社、外 を合祀)
天神社・笑子神社・住吉神社・春日神社
天照皇太神宮(豊受大神宮、出雲大社、宇佐八幡宮 を併祀)
大石神社(磐座)・田畠神社(社日神社)・水神社・室神社・目神社・三鉾神社
天神社・笑子神社・住吉神社・春日神社
天照皇太神宮(豊受大神宮、出雲大社、宇佐八幡宮 を併祀)
大石神社(磐座)・田畠神社(社日神社)・水神社・室神社・目神社・三鉾神社
由緒
奈良時代の初期越智玉澄宇摩の大領に任ぜられ今の上柏町御所の地に新館を建て宇摩郡を経営したが、年老い毎月の大三島宮参籠も出来なくなったので、養老4年旧8月23日大三島宮より奉遷し八綱浦三津名岬加茂川上冠岡の地を選び奉斎したのが始であり、それより此の地を三島と云う様になった。
奈良時代の初期越智玉澄宇摩の大領に任ぜられ今の上柏町御所の地に新館を建て宇摩郡を経営したが、年老い毎月の大三島宮参籠も出来なくなったので、養老4年旧8月23日大三島宮より奉遷し八綱浦三津名岬加茂川上冠岡の地を選び奉斎したのが始であり、それより此の地を三島と云う様になった。
ϵ( 'Θ' )϶ 一茶句碑
文化文政時代の俳人小林一茶が若い頃の寛政7年2月28日に当神社に参詣しこの句を残されました。
「冥加あれや日本の花惣鎮守」
この碑文は現存する一茶直筆の寛政紀行より拡大したものです。
句碑は昭和40年2月三島神社氏子会の人と三島観光協会の人達によって建立されました。
(案内板より)
天満宮の牛
中にも牛さんいます
笑子神社
目神社
目神社
本殿背面に狛犬が
脇障子