箸蔵寺の帰りに寄りました
祭神/高龗神(たかおかみのかみ 山頂に座す龗)
一般的には次のように言われています。
高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)は同神異名である
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〔龗〕音読みはレイ、リョウ、訓読みは、おかみ(または、うかみ)。
部首/龍部 画数/33画
龍を構成要素にふくみ、上部に雨があって中央は口が3つ
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*** 小田池の人柱 ***************
小田池は,高松市川部町と香川郡香南町にまたがる。かつて,白鳥が飛来したというので,白鳥の来る池として有名。
この小田池も,西嶋八兵衛が手がけた池で寛永4年に成ったというが,相当な難工事であった。平野に築かれる池は,容易に堤防が築けず普請奉行は頭をかかえこんでいた。梅雨までに堤を築きあげなければ田植ができなし,藩主からはまだかまだかと催促の早馬がくる。池普請の人夫たちは,
「こりや人柱でも立てなければなるまい。」
と,ささやきあっていた。奉行に進言しても,むごいことを聞き入れてはくれない。
そうこうするうちに梅雨のはしりの雨が長引き,またまた堤防が決潰してしまった。下手をすると田も植えられなくなると農民たちはさわぎはじめる。水がはげしく流れ出る堤を見ていた人夫たちは,人柱をたてなければ堤は築けないものと思いこむようになってしまった。
奉行も,こう長引いたのでは方々に障害が起きてくる。人柱をたててでも堤防を築きあげなければと決心。だが,人柱に立とうという者はいる筈がない。
すると,工事中の池のほとりを通りがかった女性がいる。奉行は,意を決してこの女性二人を人柱にたてることにした。一人は奥方,もう一人はお供の女性だったのだ。まだ年若いお供の女は、「運わるく奥方さまのお供を言いつかり,ここへ来かかったばかりに死ぬことになってしまった……。」
と,泣き崩れる。でも,覚悟を決めた奥方さまの顔を見ているうちに,お供の女性も少し落ちつきこんな願いを托して池に入った。「奥方さまのお供で死んでゆくのですから,私の墓は,奥方さまの墓より少し離れた高いところへ建ててくだされ。」
この女性は、「すわ」という名。奉行は、すわの最期のねがいのままに,高い山に「諏訪(すわみょうじん)明神」として女を祀った。奥方は「池明神」とし,池の守護神として祀られている。
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