法勲寺地区にはこんな歴史背景が
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2010/12/post-9373.html
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「延暦13年(西暦794年)正月8日、弘法大師法勲寺を玉井村讃留霊王塚上にうつし、嶋田寺を輸伽場として滞り、讃留霊王を追薦す」とある。その後、法勲寺廃頽の時、本尊霊宝を当寺に納め讃留霊王の神霊を勤修す。
と記述がある
車を駐めたところは、法勲寺跡らしい
空海が讃留霊王の墓に法勲寺を持ってきたって、無茶するなぁ
というか、根強い地信仰が空海の広める教えのジャマになったのかもネ
なんて根拠のない素人の考えは置いといて
王墓を目指して鳥居をくぐる
参道と交差するように現れた道?金比羅旧街道らしい
本殿と王墓
本殿の脇障子
地図上に、もうひとつ「讃留霊王神社」が表示されている
気になるので行ってみることに