ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

朝宮大明神

朝宮大明神
 
御祭神
天照皇大神荒御魂として瀬織津姫を祀る
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拝殿の神額には朝宮大明神
鳥居の神額には朝宮神社
 
表記が異なる神社です
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拝殿内を撮影
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本殿は山体にめり込んでる?
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奉納された砲弾のところへ続く旧参道かな
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今回で何度目の訪問になるのかな?
拝殿にお参りをし
御神木に挨拶して
急な石段を下りる
 
 
 
朝宮神社は本殿が18世紀中期の建立と
徳島県の近世社寺建築」
に記述があり最も古いものらしい
 
訪れる度に不思議やなぁと思っていた砲弾は、これによれば
石段の途中に奉納されている砲弾
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http://takara.ict-tokushima.jp/list/bbsi.php?s=28&b=1162から
北谷(旧姓星山)宇平さんは、日露戦争終結後に現地(中国東北部)で除隊。
その後に、日露戦争で使用されたロシア軍の不発弾などから起爆装置や火薬を抜いたものを入手。
日本に持ち帰り、明治40年に神社などに奉納しました。
なお、後の昭和年間の日中戦争や太平洋戦争(第二次世界大戦)の「金属供出」のときには、この砲弾は神社の縁の下に筵(むしろ)をかぶせて置かれ、そのために、神社境内の他の金属製品は「金属供出」に出された(持ってゆかれた?)ものの、そういういきさつで、この奉納された砲弾は現在も存在していると語られます。
また、第二次世界大戦終了後には、土中に埋められ、昭和41年になって掘り出され、元あった現在の位置に再び立てられました。
●砲弾には、「日露記念奉納明治四十年四月星山宇平」と刻まれています。
●参考
「ふるさと佐那河内(民俗と民話)」(編=「ふるさと佐那河内編集委員会、発行=佐那河内村、平成4年)など
●参考資料/「ふるさと佐那河内(民俗と民話)」(編=「ふるさと佐那河内編集委員会、発行=佐那河内村、平成4年)
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不可思議体験報告編
 
この日、朝宮大明神には何故か二度お参りしたのです
というのは
このあと訪れた妙見神社
何かに憑かれまして(初体験)
このとり憑いたモノ?を朝宮大明神へ届けなければ
との思いが湧いてきまして
ツレに再度立ち寄ってもらいました
石段の鳥居を潜ると
背後から「う゛ぅ」的な声のようなモノが・・・
拝殿で「妙見神社」から預かってきましたと報告すると
妙な声は消えました
なんだったのでしょうねぇ?
信じなくて良いけど、自分的不思議体験でした
お前誰や から また来たんか? に昇格したのかも(^o^)