ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

古代、飯野山山頂にあったと言われる飯神社

古代、飯野山山頂にあったと言われる飯神社
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               飯神社の境内にある飯天神
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               飯天神の狛犬
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        昭和31年に奉献された牛の後ろ姿
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        神社境内から、牛さん正面
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               玉垣に囲われた杉
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        鬼瓦、天狗伝説があるので期待してたけど「鬼」でした
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        分かりにくいけど、一応、木の鳥居がある
        祠の扉は施錠されており御祭神不明です
◇ 飯神社
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□所在地 香川県丸亀市飯野町東二山根
□社名 飯神社
□祭神
イイヨリヒコノミコト 飯依比古命
スクナヒコナノミコト 少彦名命
合祀
ウカノミタマノカミ 倉稲魂神
オオトシノカミ 大年神
境内社
幸神社
祭神 オオトシノカミ 大年神
荒神
祭神 イタケルノミコト 五十猛命
伊勢社
祭神 アマテラスオオミカミ 天照大神神社のお話(九)
◇飯天神社
祭神 スガワラミチザネ 菅原道眞公
古事記』の國生神話に、「讃岐は飯依比古」とあるが、古代祭祀が行なわれたのは、イザナミノミコト、イザナギノミコトの國生み神話よりはるか以前のことである。
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/62208578.html
より抜粋
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ウィキペディアから
創建時期は不明。飯野山山頂の岩石群を盤座としたのが始まりという。飯野山山腹に遷座後、康保元年(964年)に現在地に遷座される。
天正9年(1581年)、長宗我部元親讃岐国侵攻の兵火により焼失。元和8年(1622年)に再建される。
明治元年(1868年)に飯野村の村社に列し、大正10年(1921年)に香川県県社に昇格した。現在の社殿は明治22年(1889年)改築されたもので、昭和56年(1981年)に修復されている。
主祭神 飯依比古命
讃岐国国魂神。伊予之二名島の顔の一つ。
飯依は「穀類が集まる」の意味で、食べ物に不足しない地であることを表したと推測される。
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由緒
 『延喜式神名帳』に、讃岐国鵜足郡小飯神社とあり、讃岐二十四社の一。
 鵜足郡は紀氏と同族の坂本臣が居住していた。五十猛命を祀ったか。
 『古事記』の国生みの神話に、「次に伊予之二名島を生みき。この島は身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故、伊予国(イヨノクニ)を愛比売(エヒメ)と謂ひ、讃岐国(サヌキノクニ)を飯依比古(イヒヨリヒコ)と謂ひ、粟国(アハノクニ)を大宜都比売(オホゲツヒメ)と謂ひ、土左国(トサノクニ)を建依別(タケヨリワケ)と謂ふ。」とある。飯依比古は讃岐の国魂神である。
 『播磨国風土記』の揖保郡香山の里に飯盛山の項があり、「讃伎国宇達郡の飯神の妾の名を飯盛大刀自と言い、この神が海を渡って来てこの山を占めて住んでいた。だから飯盛山と言う。」とある。
 岡山県玉野市胸上の八幡宮八幡神の他に飯依比古 飯依比賣が祀られている。この女神が飯依比古の摘妻(ムカヒメ)?
 天正年間兵火に罹り社殿悉く焼失、別当某僅かに神体二躯を奉して火中より逃れ、元和八年九月社殿再興なり、遷宮を行ったと言う。
 摂社に荒神社が二座記載されている。明治四十四年字高柳の荒神社と字山根の荒神社を合祀している。
http://kamnavi.jp/it/nisi/iijinja.htm から
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つぎは「坂元神社」へ向かいます