4月29日にツレと廻った
もちろん運転はツレ
もちろん運転はツレ
向かった先は鼓岡神社です
記憶容量の少ないオラッチは
天才的方向音痴である
天才的方向音痴である
行った所も虚ろに記憶している程度
なのでデジカメで記録する
なのでデジカメで記録する
撮影日時が残るからネ
ここはつれが凝っている崇徳上皇ゆかりの地のひとつ
保元元年(1156年)の保元の乱で敗北した崇徳上皇が配流先の讃岐国で設けた行在所と伝えられる。
『保元物語』では、崇徳上皇はまず「在庁高遠の松山の御堂(雲井御所跡)」に入り、のち「直島」の御所に移り、そして「鼓の岡」に御所を新造し移ったと記している。
当地に設けられた御殿は「木の丸殿(このまるでん)」と呼ばれ、崩御までの6年余りの間生活を営んだという。
『保元物語』では、崇徳上皇はまず「在庁高遠の松山の御堂(雲井御所跡)」に入り、のち「直島」の御所に移り、そして「鼓の岡」に御所を新造し移ったと記している。
当地に設けられた御殿は「木の丸殿(このまるでん)」と呼ばれ、崩御までの6年余りの間生活を営んだという。
境内
置くに見えるのが観音堂
擬古堂
拝殿
本殿
「鼓岡」の社名は、丘の頂上付近で地面を叩くと鼓のような音がしたからといわれる。
なお、当地は円墳または前方後円墳だったとも見られており、当社近くに鎮座する城山神社では、讃岐国造の祖である神櫛別命の墓とも伝えている。
なお、当地は円墳または前方後円墳だったとも見られており、当社近くに鎮座する城山神社では、讃岐国造の祖である神櫛別命の墓とも伝えている。