ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

香川県/大久保神社

大久保神社
香川県綾歌郡綾川町萱原965−1
祭神/水久麻理神

八坂神社
香川県綾歌郡綾川町萱原856−1
祭神/須佐之男
 
同じ境内に鎮座してます
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位置的にはイオン綾川の裏?
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               燈籠火袋、丸いアナは太陽と月を表すらしい
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              神社により月の形が違う、ここは満月
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        大久保神社拝殿
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大久保神社由緒
大久保神社は傳ふ所によれば高松藩の家老大久保主計、當村の士 久保太郎右衛門を祀ると云ふ。
太郎右衛門は延寶四年當村に生まれ、性聰敏二十歳にして里正となる。
当時當村は、灌漑水乏しくほとんど毎年旱外を蒙れり。
太郎右衛門之を憂へ 水利の策を樹て、綾川の上流山田村より菅原村大羽毛池に至る三里十八町の水路を設置せんとし高松藩に請願せしが許されず、僅に三千間のみ許可されたり。
然れども水散逸して達せず。
茲に於て意を決し一身を犠牲にして藩主松平頼常に直訴す。
之を以て縲絏囹圄の身となりしが、獄中尚村民の飢餓を歎き工事の許可を哀願して止むことなし。
藩主之を憐れみて仮出獄を許し、更に掘削地を踏査せしめしが、厳石多く開削の見込みなしとて詮議せられざるのみか再び投獄されたり。
茲に村民相携へて藩の大久保主計に出獄を哀願し、太郎右衛門の妻は毎朝夙に起き乳児を懐にし六歳の児をつれ、三里の道を金毘羅に詣で夫の出獄と工事の許可を祈願して烈風強風の日も缺くることなし。
寛永六年正月出獄を許され、且つ掘削を許可せらる。
太郎右衛門喜悦喩ふるにものなく、身を賭して之が成就を誓ひ、資材を投じて同年四月十一日遂に遂に菅原、瀧宮、陶三村に亙り五百餘町歩の灌漑水路を完成せり。
而してこの業の成るや己の力に非ず、神名の駕籠と大久保大老の恩恵による所とし、寛永六年大羽毛池の傍に浄地を相し祠を建てて大久保主計の英霊を祀りて厚く尊崇せり。
これ大久保神社の名のある所以なり。
正徳元年七月二十二日久保太郎右衛門 歿す。
村民慟哭して息まず、即ちその霊を大久保神社に合祀して永く報恩謝恩祭典を行ひ来たれりと。
 
 
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        八坂神社の牛
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八坂神社由緒(香川県神社誌)
延暦年官讃留霊王の後裔にて阿野の人正六位上綾公官麿が、瀧宮牛頭天王の御分霊を奉齋し、履脱宮と称へ菅原村の鎮守となせしに始る。
仁和年間菅公国司として瀧宮に居り、厚く尊崇して屡々境内に於て射御會を催されたりと傳へられ、この故事によりて、明治初年の頃までは毎歳百々手神事とて齋庭に於て弓を奉射する儀式ありしが今中絶す。
瀧宮柾木城主豊後守安資社殿を修理せしが、天正年間兵火に罹り焼失し、其の後氏子等之を再建す。
寛永六年改築、弘化四年大修理、明治四十一年本殿、幣殿、拝殿を改築する。
明治四年村社に列せられ、大正十三年九月二十五日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
明治四十二年(字南)大久保神社を合祀す。
 
えっ?大久保神社が付け足しなの?
地図では大久保神社はあるが同境内にある八坂神社は出てない
しかし、ここでも讃留霊王所縁の記述が見える
 
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