山神社をあとにして
神前神社へ向かいます
一旦、踏切方面に向かい踏切の手前を左折し目印の神前小学校へ
細道を曲がり注連柱をくぐり神前神社の境内へ侵入し車を駐める
細道を曲がり注連柱をくぐり神前神社の境内へ侵入し車を駐める
ありゃ、裏から入ったみたいです
鳥居へ向かい撮影
雨やみません(-_-)
古そうな祠の中に新しそうな石が安置
お参りして撮影続行
【讃岐二十四社のなかの3社が寒川町内にあり、その一つがこの「神前神社である」「神前
明神」とも言われ、土地の人々は「こうざきさん」とか「みょうじんさん」と呼んでいる。
ある。その奥に猿田彦命をお祀りしてある銅板葺きの神殿が建っている。現在は、男山神社
御前奉仕に由来して神前(カムサキ)となったといわれている。神殿の西側には白色凝灰岩
製の石仏(仏像・神像両説がある)が祀られている。】
境内掲示板から
神前神社の石仏
この石像は、白色凝灰岩製で、風化が進んでいるため仏像か神像かの判別が難しく、仏像・
神像の両説があります。
仏像説では、この象を横から見るとやや前かがみになっているところが、仏像ではないかと
仏像説では、この象を横から見るとやや前かがみになっているところが、仏像ではないかと
いう記載が残っているのが、この石像ではないかとも言われています。近所の人はおふなた
さんと呼んでいます。「具名登」は「久那斗」・「岐」とも書かれ、日本書記には「是を岐
神と謂す。此れ本の号は来名戸の祖神と曰す。」とあり、旅人を守る道祖神であるといわれ
ています。
人は自分の生涯のどこかで、信じるものを失いかけることに出会います。そんな時、石像で
人は自分の生涯のどこかで、信じるものを失いかけることに出会います。そんな時、石像で
ある、木造であれその中に神を求め、仏を信じ心の寄りどころを探して祈ります。救われた
い人の弱さを、この像はじっと見守り、やすらぎと生きる喜びを与えてきたに違いない。
昭和59年3月
昭和59年3月
降り続く雨、雨粒が写ってたので
拝殿から鳥居を見る
拝殿右側にある祠
右側から本殿撮影
次は「こしき神社」