ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

神前神社 寒川町

山神社をあとにして
神前神社へ向かいます
一旦、踏切方面に向かい踏切の手前を左折し目印の神前小学校へ
細道を曲がり注連柱をくぐり神前神社の境内へ侵入し車を駐める
ありゃ、裏から入ったみたいです
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鳥居へ向かい撮影
雨やみません(-_-)
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古そうな祠の中に新しそうな石が安置
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お参りして撮影続行
神前神社
さぬき市寒川町神前1623
祭神/猿田彦命
由緒/由緒不詳 永仁3年(1295)5月銘の経筒が境内より出土
祭祀/江戸時代は「山崎鎭守大明神」と称していた
【讃岐二十四社のなかの3社が寒川町内にあり、その一つがこの「神前神社である」「神前
明神」とも言われ、土地の人々は「こうざきさん」とか「みょうじんさん」と呼んでいる。
玉垣に囲まれた境内正面の鳥居をくぐると、狛犬・注連柱の向こうに横5間の立派な拝殿が
ある。その奥に猿田彦命をお祀りしてある銅板葺きの神殿が建っている。現在は、男山神社
の境外末社であるが、もとは神前村村社であった。また祭神についても「応神天皇」と言う
説もあるがこの神社はいつできたかはわからない。また神前という地名は猿田彦命天孫
御前奉仕に由来して神前(カムサキ)となったといわれている。神殿の西側には白色凝灰岩
製の石仏(仏像・神像両説がある)が祀られている。】
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境内掲示板から
神前神社の石仏
この石像は、白色凝灰岩製で、風化が進んでいるため仏像か神像かの判別が難しく、仏像・
神像の両説があります。
仏像説では、この象を横から見るとやや前かがみになっているところが、仏像ではないかと
考えられ、造像当初は、全身立像で、鎌倉時代末期か室町時代初期頃の地蔵菩薩像、又は、
薬師如来像と推定されています。
神像説では、この像の顔の真ん中あたり(鼻の部分)が高くなっているので、猿田彦命では
ないかと考えられています。また、旧神崎村八幡宮末社由来帳に、山崎「具名登二社」と
いう記載が残っているのが、この石像ではないかとも言われています。近所の人はおふなた
さんと呼んでいます。「具名登」は「久那斗」・「岐」とも書かれ、日本書記には「是を岐
神と謂す。此れ本の号は来名戸の祖神と曰す。」とあり、旅人を守る道祖神であるといわれ
ています。
人は自分の生涯のどこかで、信じるものを失いかけることに出会います。そんな時、石像で
ある、木造であれその中に神を求め、仏を信じ心の寄りどころを探して祈ります。救われた
い人の弱さを、この像はじっと見守り、やすらぎと生きる喜びを与えてきたに違いない。
昭和59年3月
 
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降り続く雨、雨粒が写ってたので
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拝殿から鳥居を見る
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拝殿右側にある祠
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右側から本殿撮影
 
次は「こしき神社」