さぬき市津田古墳群シンポジューム
というのに行く前に
というのに行く前に
歴史民俗資料館(ここは撮影してません)に立ち寄りまして
入場料100円はツレが傲ってくれた
発掘された出土品などを見て(出土品を撮影されている方がおられました)
入場料100円はツレが傲ってくれた
発掘された出土品などを見て(出土品を撮影されている方がおられました)
銅鏡がイメージしてたのより小さいとツレが言うとりました
神社の拝殿ある鏡の大きさが基準だったみたいです
などと話しながら車は
神社の拝殿ある鏡の大きさが基準だったみたいです
などと話しながら車は
富田茶臼山古墳へ
ここに車を駐めてヘタラぁ~と古墳まで歩きです
ツレはさっさと進みます
鳥居をくぐって階段の途中に弥勒菩薩
円墳部の頂上をめざし階段を上がる
注連柱
方形部から円墳方向に向かい鳥居がある
円墳頂上広場に建つ灯籠(火袋がない)
円墳から方形部を撮影
ここでも古墳を撮影している方がいました
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 富田茶臼山古墳 ∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝
国指定史跡(平成5年7月26日)
大川町富田中3402-3 所有者 さぬき市 他
歴史地理書「三代物語{1745年(延享二年)}」には、「茶臼山古墳は西に向けて前方部が延び、後円部が丸く、周りには濠があって、円筒埴輪が数多く埋められ、黒油石(讃岐岩質玄武岩)といわれる石が墳丘に多量使用されていた。古書には、日本武尊の陵とされていた。」と記録されている。
国指定史跡(平成5年7月26日)
大川町富田中3402-3 所有者 さぬき市 他
歴史地理書「三代物語{1745年(延享二年)}」には、「茶臼山古墳は西に向けて前方部が延び、後円部が丸く、周りには濠があって、円筒埴輪が数多く埋められ、黒油石(讃岐岩質玄武岩)といわれる石が墳丘に多量使用されていた。古書には、日本武尊の陵とされていた。」と記録されている。
このように富田茶臼山古墳は、江戸時代の文献にも記録された四国最大の前方後円墳である。平成元年の「富田茶臼山古墳発掘確認調査事業」の結果、古墳は全長139メートル をはかり、高さ11.8メートル幅77メートルの前方部と直径91メートル高さ15.7メートルの後円部ともに三段に築造された前方後円墳であり、墳丘周囲には前方部に向かって 次第に狭まる盾形の周濠がめぐり、その外側には周庭帯の存在も考えられることが判明した。また築造時期も五世紀前半に求められ、四国の古墳の象徴とも言え、畿内政権の地方支配の推移を 知る上でも欠くことができない、全国的に極めて重要な位置を占める古墳であることから、平成五年七月に国の史跡として指定された。なお、平成五・六年度の調査によって、古墳の 南西及び西側に三基の陪冢が発見された。三基とも周溝を廻らせた五世紀前半の方墳である。
http://ew.sanuki.ne.jp/bunka33/tyausuyama.html
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http://ew.sanuki.ne.jp/bunka33/tyausuyama.html
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