ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

富田茶臼山古墳

さぬき市津田古墳群シンポジューム
というのに行く前に
歴史民俗資料館(ここは撮影してません)に立ち寄りまして
入場料100円はツレが傲ってくれた
発掘された出土品などを見て(出土品を撮影されている方がおられました)
銅鏡がイメージしてたのより小さいとツレが言うとりました
神社の拝殿ある鏡の大きさが基準だったみたいです
などと話しながら車は

富田茶臼山古墳
イメージ 1
ここに車を駐めてヘタラぁ~と古墳まで歩きです
イメージ 2
ツレはさっさと進みます
イメージ 3
鳥居をくぐって階段の途中に弥勒菩薩
イメージ 4
円墳部の頂上をめざし階段を上がる
イメージ 5
 
イメージ 6
注連柱
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 9
方形部から円墳方向に向かい鳥居がある
イメージ 10
円墳頂上広場に建つ灯籠(火袋がない)
イメージ 11
円墳から方形部を撮影
イメージ 12
 
イメージ 13

ここでも古墳を撮影している方がいました
 
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 富田茶臼山古墳 ∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝
国指定史跡(平成5年7月26日)
大川町富田中3402-3 所有者 さぬき市 他
歴史地理書「三代物語{1745年(延享二年)}」には、「茶臼山古墳は西に向けて前方部が延び、後円部が丸く、周りには濠があって、円筒埴輪が数多く埋められ、黒油石(讃岐岩質玄武岩)といわれる石が墳丘に多量使用されていた。古書には、日本武尊の陵とされていた。」と記録されている。
このように富田茶臼山古墳は、江戸時代の文献にも記録された四国最大の前方後円墳である。平成元年の「富田茶臼山古墳発掘確認調査事業」の結果、古墳は全長139メートル をはかり、高さ11.8メートル幅77メートルの前方部と直径91メートル高さ15.7メートルの後円部ともに三段に築造された前方後円墳であり、墳丘周囲には前方部に向かって 次第に狭まる盾形の周濠がめぐり、その外側には周庭帯の存在も考えられることが判明した。また築造時期も五世紀前半に求められ、四国の古墳の象徴とも言え、畿内政権の地方支配の推移を 知る上でも欠くことができない、全国的に極めて重要な位置を占める古墳であることから、平成五年七月に国の史跡として指定された。なお、平成五・六年度の調査によって、古墳の 南西及び西側に三基の陪冢が発見された。三基とも周溝を廻らせた五世紀前半の方墳である。
http://ew.sanuki.ne.jp/bunka33/tyausuyama.html
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝