ariga10dazoの日記

休眠ブログからの再出発なのだな ( ^)o(^ )

お風呂メイン。バイクは付け足し。

いい風呂の日、11/26
日本浴用剤工業会が制定。
「いい(11)ふろ(26)」の語呂合せ。
 
湯船につかるようになったにはいつから
各家庭に内風呂が普及するのは昭和20年代以降だが、多くは銭湯を利用していました。
 
オラッチも銭湯通ってました
当時は自転車にエンジンを後付けしたものでも高価でしたから、
親が一生懸命漕ぐ自転車の後ろにのせられてオラッチも銭湯通ってました。
歩いて通える距離に銭湯がなかった。田舎でしょ?
 
欧米ではシャワーが主流で、バスタブにつかる習慣はほとんどないといわれています。
なぜ日本ではお風呂に入る習慣が定着したのでしょう。

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日本列島は地震と火山の国。
地下から火山ガスと高温のお湯が蒸気とともに噴出する。
石器時代は洞窟をつかって「蒸気浴」をしていた?タブン(^。^)y-.。o○
 
今のように裸でお湯につかるスタイルは、江戸時代の末期になってようやく普及。
銭湯の前身となるのが「湯屋(ゆや)」とよばれる公衆浴場
この湯屋、江戸中期までは混浴だった。

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1791年に松平定信が「男女入込禁止令」
寛政の改革」によって男女混浴は禁止されるまで混浴が当然のように行われていました。
とはいえ、改装費がかかることから、浴槽を板で仕切る程度で厳密に区別はされていなかったようです。
「日本遠征記」のなかには「江戸では男も女も裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴している」という記述が。
あいまいな禁止令は明治時代まで続き、内務省の法令によって完全に禁止となったのは明治33年。
ただし、この習慣が広まったのは銭湯が盛んだった江戸や大坂(現・大阪)などの大都市でしかなく、

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また入浴頻度もそれほど多くなかったと考えられています。
(中には日に何度も入浴する道楽者もいましたが)
毎日入浴する習慣が全国的になっていくのは、
各家庭へ水道・ガスの普及が進んだ高度経済成長期まで時代が下ります。
 
バイクの話
自転車に後付けエンジン、原動機付き自転車やね

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このタイプと違うけどネットに写真がなかった
ネットで拾ったケド、これも、記憶にあるのとチト違う。
年式が異なるのかな?こんなので銭湯通い (*^_^*)

富士重工業のラビット 125ccクラススクーター

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ジュノオ。走行中にキックが外れることも
オラッチがチビだったころ、親父様が中古で購入。
風防は付いてなかったように記憶してる。

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その血を引き継いだのか
20代のころGT750水冷3気筒に乗ってました
整備不良でアクセルワイヤー切れたりしたな。
ネットで写真捜した。
f:id:ariga10dazo:20191120195335j:plain撮影会でモデルさんが跨ってくれたんだけどね、その時の写真がない。
当時、同級生はホンダ、先輩はカワサキが多かった。
妹は、オラッチのお下がりでマメタン(白)というので自動車免許とりに行ってた。

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教習所からエンジンかからんと怒って電話してきたことも懐かしい。
原因は、プラグがかぶってただけでしたが・・。
ナナハンで法定速度守る原付をエスコートして帰ってきました。
オラッチ、マメタンのメーター振り切って遊んでたから、
妹のまじめな低速走行に、エンジンもっと回してとマメタンが言いたかったのかも?
妹が免許取得後、
フロントとリアにキャリアを無理やりつけて、近場の納品に活躍しました。

ホンダのカブの時は曲がるときステップを地面に擦りましてコケタこともある。

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そういえばマメタンの時もコーナーでコケタな。
GT125のときはダンプの直前で派手にコケタ。
 
どんくさいオラッチ( ;∀;)