きょうは、仏滅でしたね。
ところで、大安・吉日に根拠はあるのか?
神道も仏教も六曜との関係を否定してます。
有名な高島なんとかの暦が販売されてますが、
神社司庁発行の暦には記されてません。
最近は、信じない方、増えてるようです。
仏滅の結婚式場は格安のところもあるようで、
利用する方も増えてるみたい。
この六曜って、江戸時代の暦に記載されてなかったらしい。
昔、ラジオの蘊蓄で聞いたような?
で、明治になってカレンダーに記されるようになりました。
六曜のルーツは何か?
中国起源説もあるが、
ほんとうのところは、
資料が少なくわからない。
というのが正しい見解?
全くの迷信かと思ったが、
武田信玄が、小笠原長時と戦ったある日。
六曜でいえば、「先負」の日でした。
先手を打ったほうが、負けるとされています。
お互いにそれを信じていれば、
この日に戦いは起きないはずです。
小笠原長時は、
「先負の日は先に手を出したら負けるといわれるから、
敵も攻めてくるはずがない」
と油断していました。
ところが、武田信玄はそんなものは信じていません。
先んずれば負けるはずの先負の日に、
大胆不敵に先制攻撃をしかけ、
小笠原長時を打ち破っています。
六曜を信じた人が負け、
信じなかった人が勝ったのです。
昔、天下分け目の関ヶ原の合戦のときもそうでした。
徳川家康が大軍を率いて江戸城を出発しようとしたのは、
9月1日でした。
この日も「先負」にあたり、その意味からすれば、
先んずれば負けるはずです。
家来の一人が、
「今日は、縁起の悪い日でございます。
どうか、出陣は延期してくださいませ」
と進言しました。
当時、戦争に占いはつきもので、
出陣には、お日柄のよい日を選んでいました。
ましてや天下分け目の決戦ですから、
一般の私たちの結婚式よりも、
徳川家にとっても歴史的にもはるかに重大です。
家康は、
「今日はどんな日だ?」
と尋ねました。
すると家来は、
「西ふさがりでございます」
と答えました。
江戸城から関ヶ原は西のほうにありますから、
そこがふさがっているとは、不吉な予感がします。
ところが家康は、にっこり笑って、
「西がふさがっているならば、自分で破り、開いて進むまでだ。
気にする必要はない」
と言って、予定通り出陣しました。
その結果、関ヶ原で西軍に勝利し、
徳川300年の礎を築いています。
戦の勝敗は、日の善し悪しではなく、
情報力や戦略、戦術など、別の要因で決まるのです。
仏教では、2600年前から、日に善悪などないと教えられています。
『涅槃経』には、
「如来の法のなかに吉日・良辰をえらぶことなし」
と説かれています。
「如来の法」とは仏教のことです。
「吉日・良辰」とは「吉日」も「良辰」もいい日のことです。
「えらぶことなし」ですから、
仏教では、結婚式は大安にしたいから、1週間後の土曜日にしようとか、
明日は友引だから葬式延期しようなどと、
日の善悪で、日程を決めたり、その後の運命を占うことはない、
ということです。
なぜなら、仏教では、私たちの運命は、いい日とか悪い日によって決まるのではなく、
自分の行いによって自業自得できまるのだと教えられています。
結局のところ
信じる信じないは・・・・ですかね(@_@)